11月9日読了時間: 1分大相撲きょうの記事(11月9日)昭和33年協会検査役、行司の第一回連合打合せは8日土俵祭終了後福岡スポーツセンター内で行われ、各検査役、庄之助伊之助以下十両格以上行司が出席、物言いが付いた場合には従来検査役だけで協議していたが、今後は行司を加えて内容をよく納得させてから判定を下す事に。(解説)秋場所の「伊之助涙の抗議」を機に設置された検査役行司協議の第一回。行司は多数決には加わらないが、意見は述べる事が出来るようになった。写真は「大相撲」より、抗議中の伊之助の様子。
昭和33年協会検査役、行司の第一回連合打合せは8日土俵祭終了後福岡スポーツセンター内で行われ、各検査役、庄之助伊之助以下十両格以上行司が出席、物言いが付いた場合には従来検査役だけで協議していたが、今後は行司を加えて内容をよく納得させてから判定を下す事に。(解説)秋場所の「伊之助涙の抗議」を機に設置された検査役行司協議の第一回。行司は多数決には加わらないが、意見は述べる事が出来るようになった。写真は「大相撲」より、抗議中の伊之助の様子。
大相撲きょうの記事(11月26日)昭和48年 25日理事会にて木村玉治郎の伊之助昇進を決定。伊之助は1年間空位であった。新伊之助は本名熊谷宗吉、三役格行司では最も若いが日常業務、指導力を評価して抜擢した。48歳の立行司は史上最年少である。 (解説) 昭和47年1月に規定が改正され、従来はほぼ年功序列であった...
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