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大相撲きょうの記事(11月8日)

明治10年

両国回向院の相撲興行はこの冬から興行出来ない事になっていたが、色々と出願した結果この冬に限って許される事になった。また、この冬場所からは初日から女性の見物を許可するという。

(解説)

10月15日に回向院境内の見世物小屋を撤去するよう行政からの命令があり、相撲興行も例外ではなかったが、関係者の尽力で特別に許可され、以降も結果として許される事になった。なお、女性の本場所見物は、初日以外は明治5年冬に許可されたが、改めてこの冬場所から全て許可されたものである。

女性の相撲見物許可には山内容堂が尽力したとする説がある。近年、そもそも江戸期も女性の本場所相撲見物は禁止されていなかったのではないかという見解も示される事があるが、上記記事の存在、また幕末期に男装して女性が本場所入場した逸話等ある事から、女性の見物禁止自体が近代になってからの創作であるとの説には賛同出来ない。ただし、規制は正式の法度の様なものでは無く、慣習的なものであったと思われ、時に大目に見られていたのではないか…と想像する。

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