明治18年
市民の安眠を破るという苦情で相撲の櫓太鼓は其筋より本場所回向院の外は建てられない事になったため、今度16日より木挽町三丁目で興行される花相撲では櫓太鼓を設けず、触れ太鼓も廻さないという。
(解説)
明治18年8月25日警視庁布達。なお、樺山資紀が警視総監時代に相撲の櫓太鼓を禁じたために会所が好角家の伊藤博文に懇願し、一計を案じて樺山に櫓太鼓を解禁させたという逸話が存在するが、当時樺山は警視総監を退任しているため、樺山が当時の警視総監に影響力を有していたか、あるいはこれより以前の逸話なのか詳細は不明である。
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