10月9日読了時間: 1分大相撲きょうの記事(10月9日)昭和47年稲葉修文相は日本相撲協会と協議の上、大相撲「北京場所」の開催を中国に申し入れた。日中国交正常化の折、相撲は平和的な力技であり、北京場所で日本の国技を理解して貰おうと企画したもの。来年夏の開催を目指しているが、巡業日程調整の課題も残っている。(解説)日中国交正常化により昭和48年4月に中国公演が実現する。稲葉修は好角家としても有名な人物である。写真は「sumo world」の表紙。
昭和47年稲葉修文相は日本相撲協会と協議の上、大相撲「北京場所」の開催を中国に申し入れた。日中国交正常化の折、相撲は平和的な力技であり、北京場所で日本の国技を理解して貰おうと企画したもの。来年夏の開催を目指しているが、巡業日程調整の課題も残っている。(解説)日中国交正常化により昭和48年4月に中国公演が実現する。稲葉修は好角家としても有名な人物である。写真は「sumo world」の表紙。
大相撲きょうの記事(11月26日)昭和48年 25日理事会にて木村玉治郎の伊之助昇進を決定。伊之助は1年間空位であった。新伊之助は本名熊谷宗吉、三役格行司では最も若いが日常業務、指導力を評価して抜擢した。48歳の立行司は史上最年少である。 (解説) 昭和47年1月に規定が改正され、従来はほぼ年功序列であった...
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