大正5年
幕下力士による郭清運動が起きている。
山口県下興行中の大錦西ノ海一行で、鎮西山以下幕下力士百名が同盟して待遇改善の要求書を提出、興行中止を主張。役員は全部を却下し次興行地の九州に向かったが、同盟側は山口に居残り。運動の裏には入間川の預弟子、綾川の後援が噂されている。
(解説)
鎮西山は熊本鎮西中学出身のいわゆるインテリ力士で、後の力士野球団の創設メンバー。この問題の続報は無く、11日には熊本で西ノ海が横綱授与されている事から、早期に解決したものと思われる。
当時、出羽海部屋を中心に多数の「インテリ」力士が所属しており、彼らは野球団の主力となり、更にその後の三河島事件の首脳になる。彼らは当時の協会幹部からは警戒され、昭和には姿を消していく。
写真は『国技』より、鎮西山の写真。
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