明治27年
響升の焼芋屋問題。二軒隣に開業した同業者の不法を訴え、一時は町内差配人宅に乱入し拘引された響升は、今度はその同業者が営業届を出していなかった事に着目、営業差し止めを要求。差配人が仲裁を行っているが尚も談判中である。
(解説)
ある婦人が焼芋屋を営んでいたが、負債で建物を譲渡、これを響升が購入して焼芋屋営業を開始、当初は繁盛した。しかし、これを羨んだ先の婦人がすぐ傍で焼芋屋を開店、客を取られた響升が、婦人の営業差し止めを求め運動している。
響升は高砂部屋で最高位関脇、決して弱い力士では無かったが、「待った博士」と言われるほど立合いが拙く、当時大相撲自体が不人気であった事もありまるで人気が無かったと言える。結局金銭問題から部屋を破門になり、一度復帰するものの再度脱走、そのまま表舞台から消えてしまった。
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