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大相撲きょうの記事(10月25日)

昭和22年

秋場所から総当たり制度採用へ。24日午前10時両国金光教会で役員総会が開かれ、東西制存続か総当たり制採用か協議されたが、後者で満場一致、午後に力士会会長東富士以下四幹事に通知した。力士会では27日に協議予定。

(解説)

昭和15年に復活後継続されていた東西制は、本年夏場所限りでその幕を閉じ、系統別総当り制度に移行。東西力士が勝ち点を競い、優勝側が優勝旗を得る東西制には独特の魅力もあったが、廃止以降は優勝旗は幕内個人優勝に付帯している。

なお、当時は角界民主化が唱えられ、力士会の発言力も今より強かった。

写真は当時の力士会会長、東富士。


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大相撲きょうの記事(11月26日)

昭和48年 25日理事会にて木村玉治郎の伊之助昇進を決定。伊之助は1年間空位であった。新伊之助は本名熊谷宗吉、三役格行司では最も若いが日常業務、指導力を評価して抜擢した。48歳の立行司は史上最年少である。 (解説) 昭和47年1月に規定が改正され、従来はほぼ年功序列であった...

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