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大相撲きょうの記事(10月21日)

大正12年

東京力士は名古屋に落ち着き、一月場所も名古屋で打つ事に。12月初旬に帰京予定だが、全部の部屋が焼き尽くされているため、20日半焼の国技館で善後策を相談、名古屋行きを決定した。但し名古屋国技館は収容人数少ないため、場所選定に悩んでいる。

(解説)

震災による被害は国技館以上に部屋で甚だしく、居住地を失った事が名古屋に本拠を移す大きな要因となった。しかし、震災に苦しむ東京を捨てたとの非難も大きく、春場所ボイコットする力士も出て、幕内の司天竜は破門されている。なお、開催場所は翌月に大池埋立地に決定した。

写真は大正13年春場所、名古屋場所の門前。当時国技館では酒樽廃止されていたが、巡業では維持されており、この名古屋本場所でも同様であった。


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大相撲きょうの記事(11月26日)

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