明治32年
常陸山と荒岩は本場所土俵で合った事が無いが、大阪興行六日目に初顔、両者期待の力士とあって早朝より満員に。取組は同体流れ、見物の不平多く、年寄が交渉して十日目番外として再度取り組ませる事に。取直しの取組は、常陸激しく突くを荒岩蹴返し常陸四つん這い。
荒岩「どうだ恐れ入ったろう」常陸「なにもう一つ突いたら貴様の身体は飛んだろう」荒岩「馬鹿言え、俺は初めから貴様が腹立ち紛れに突いて来るだろうと思って出足ばかり狙っていたんだ」常陸「畜生食わせやがったな」
(解説)
目下相撲博物館で企画展示中の常陸山と、その好敵手として知られる後の大関荒岩の記事である。
大阪興行はいわゆる花相撲だが、当時はその星取も新聞で報じられ、本場所の無い時期でも景気を煽った。上記のようなやり取りの記事も双方の贔屓熱を高めた事だろう。
ちなみに両者の本場所での初顔は翌年夏場所、荒岩が勝利して全勝、その取組は半ば伝説的である。
写真は「時事新報」より、その33年夏、荒岩が常陸山を破る様子。
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