明治35年
常陸山は耳朶の腫物切開して現在入院中、そこに元大達の千賀ノ浦が見舞いに訪れる。入院予定は一ヶ月だが、元気なので一週間程度で退院すると告げた所、千賀ノ浦は、幾ら豪傑でも病には勝てない、先生の言う事を聞き療養するようにと諭したという。
(解説)
大関大達は明治20年前後の全盛期、ずば抜けた強さで横綱免許の可能性もあった強豪だが、大酒のために身体を壊してしまった力士。
晩年の千賀ノ浦は高砂一門の年寄として、特に常陸山に対して色々と世話を焼いている。豪傑の後輩として自分に通ずる所を感じていたのだろうか。
写真は『太平洋』より、左端常陸山と右端千賀ノ浦。千賀ノ浦は晩年だが、肩幅は見事である。
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