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大相撲きょうの記事(11月26日)

昭和48年 25日理事会にて木村玉治郎の伊之助昇進を決定。伊之助は1年間空位であった。新伊之助は本名熊谷宗吉、三役格行司では最も若いが日常業務、指導力を評価して抜擢した。48歳の立行司は史上最年少である。 (解説) 昭和47年1月に規定が改正され、従来はほぼ年功序列であった...

大相撲きょうの記事(11月15日)

明治18年 市民の安眠を破るという苦情で相撲の櫓太鼓は其筋より本場所回向院の外は建てられない事になったため、今度16日より木挽町三丁目で興行される花相撲では櫓太鼓を設けず、触れ太鼓も廻さないという。 (解説) 明治18年8月25日警視庁布達。なお、樺山資紀が警視総監時代に相...

大相撲きょうの記事(11月14日)

昭和14年 19日からの大阪大場所には双葉山を始めとする立浪組合力士は全員欠場する事になった。そのため、同国技館側では入場料を一割引する。原因は大阪国技館側と立浪の感情問題であるという。 (解説) 本場所では無いとはいえ、いわゆる準場所の欠場は異例で、力士会は立浪の態度を非...

大相撲きょうの記事(11月8日)

明治10年 両国回向院の相撲興行はこの冬から興行出来ない事になっていたが、色々と出願した結果この冬に限って許される事になった。また、この冬場所からは初日から女性の見物を許可するという。 (解説) 10月15日に回向院境内の見世物小屋を撤去するよう行政からの命令があり、相撲興...

大相撲きょうの記事(11月5日)

昭和22年 3日、出羽海、春日野両部屋が全焼。午後9時半東両国一丁目ゴム工場から出火、折りからの風で延焼した。化粧廻し他物品の被害はなく、両部屋力士は当面武隈部屋に移転する事に。なお、不休不眠の両部屋力士は4日秋場所二日目出場、櫻錦は佐賀ノ花を破る殊勲。 (解説)...

大相撲きょうの記事(11月4日)

昭和43年 力士会は3日福岡スポーツセンターで開かれ、協会に対し、宣伝部を設けて人気上昇のPRに努めるべきと要望する事に決めた。 (解説) 相撲不人気時代の最中協会に宣伝部を設けるべきという議論はこの頃からあったが、その実現は平成6年1月の広報部新設を待つ事となる。なお、昭...

大相撲きょうの記事(10月31日)

明治27年 響升の焼芋屋問題。二軒隣に開業した同業者の不法を訴え、一時は町内差配人宅に乱入し拘引された響升は、今度はその同業者が営業届を出していなかった事に着目、営業差し止めを要求。差配人が仲裁を行っているが尚も談判中である。 (解説)...

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